国連貿易開発会議
南北問題を検討し対策を勧告するために1964年末に設置された国連総会の常設機関。62年の国連総会の議決にもとづき、64年春に第一回会議が開かれ、その勧告によって同年末の総会で本決りとなりました。末会議は国連全加盟国と関係諸機関で構成され、4年に1回開催されます。執行機関として国連貿易開発理事会を持ちます。2回の本会議は、第一回が64年3月から6月ジュネーブ、第二回が68年2月から3月でニューデリーで開催されました。両回とも、本会議のもと5つの委員会を設けて討議し、第一委は開発途上国の輸出の大半を占める一次製品の輸出促連と価格安定、第二委は開発途上国の工業製品、半製品の輪出拡大、第三委は開発途上国の開発資金に対する先進国の援助、第四委は新貿易、海運機構、第五委は新貿易原則を討議しましたが、第二回には三つの特別委員会も設けられました。
第一回は南の77力国の団結による突きあげと北の冷淡な態度や内輸もめが目立ち、社会主義国は米ソ共存を反映して強い態度を控え、形式的な妥協で終幕しました。その後開発途上国側は67年10月アルジェに会して、先進国に要求するアルジェ憲章を成立させましたが、第二回のニュ一デリー会議では、南の足並みは十分そろわず、ボンド危機やドル不安にゆれる北はOECD案のもと、しぶい態度をとり、また社会主義国は南から東南貿易の拡大を要求されました。
結局、第二回会議での焦点は、一般特恵、考先進国からの援助と、補足融資二次製品の値下りなどによる開発造上国の輸出滅退のため、妥当な開発計画がつますいたとき、国際金融機関によって行なわれる、長期低利の融資。一次製品の価格安定策、にありました。特恵の対象を工業製品、半製品に限るが農産加工品も含めるかをめぐって、前者の場合に有利な先発開発途上国と、後者を含まなければ実益のない後発開発途上国とで利害が一致せず、また既存特恵をめぐって、南の内部にも北の内部にも、対立があり、さらに逆特恵を固執するフランスとこれに反対するアメリカとの対立もからみ、結局実質的な南北の合意は成立せず、一般特恵の具体化はTDBの下部機関として設けられる特恵特別委員会に持ち越され、70年初め実施という南の希望も記録にとどめるだけに終わりました。
援助については、毎年先進国GNP1%の量と、DAC勧告の線までの条件緩和を、努力目標とすることになり、補是融資については検討の必要性を確認しただけに終わったりました。そして各種一次製品にする国際商品協定実現のため今後の交渉日程を決めました。以上のほか、先進国中心の海運同盟と交渉する開発途上国側の荷主協議会の設立が認められ、あるいは世界食糧宣言が採択されました。この第二回総会以後にあげた重要問題の具体化のためTDBを中心に検討が続けられましたが、特恵間題については、70年10月、特恵特別委員会で基本的な合意が成立し、国連総会で第二次国連開発十年の一環として71年がら実施されています。

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