イギリスの産業国有化

第二次大戦直後に成立したアトリー労働党内閣は、その最も重要な政策として一連の産業国有北を実施しえ。そのためイギリスは社会主義への第一歩を踏出したかのようにみなされ、世界の注目をひきましたが国有化が行なわれたのは、中央銀行たるイングランド銀行、炭鉱業、民間航空業、有線無線電信、原子カエネルギー製造、国内運輸業、鉄銅業などで、資本家に打撃を与えたのは鉄鋼業の国有化ぐらいであり、その他のものは資本主義国ですでに国有化されたことのあるものが多く、社会主義国の産業社会化と違い、斬新的に議会の立法を通して、徒来の資本家に十分な補償を与えたうえ、買収は従来の利益配当をほぼ保証するだけの利子をつけた国債の交付により国有化される点に、イギリスの場合の特色があります。その後1951年にチャーチル保守党内閣が成立し、52年に陸運業と鉄鋼業の国有を解除しましたが、その他には手をつけませんでした。さらに64年にウィルソン労働党内閣が実現するとともに、鉄鉱再国有化が議会に提案され、66年に議会を通過し法律となりました。それによると鉄鋼大手13社の資産は国営鉄鉱公社に移され、株主には鉄鋼国債によって補償。前回国有化されたままの大手一社を加えてこれを公杜が運営します。大手14社の製鋼能力は全生産量の90%に達し、残り約200社の中小メーカーは民間企業として残されました。労働党政府の目的は、こうして公社が事実上英国鉄鋼産業を掌握することによってこれを再編成し、その合理化と近代化を促進して国際競争力を強化することにありました。

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