南北問題

一方では北半球における先進工業国の繁栄があり、他方では南半球のアジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける開発途上国の経済的な立遅れがあるという対比は、第二次大戦後に南の多くの国々が独立を達成するにつれ、強く意識されるようになりました。しかも、北からのさまざまな経済援助にもかかわらず、1950年代を通じて南北の格差は拡大するばかりでしたから、こうした南北の不均衡な関係は南北問題として認識され、その解決が60年代の国際経済における最大の課題の一つとされるに至りました。南北間題という言葉は1959年イギリスのロイド銀行頭取フランクスの用語に始まると言われます。しかし東西間題にならった、キャッチフレーズ的な南北間題という発想は注意を要し、北の先進工業国と南の開発途上国といっても、、帝国主義本国と植民地半植民地あるいは、従属国の関係にあったのであり、南の国は、政治的に独立したとはいえ、植民地的経済構造を背負ったままであり、依然として北の資本の力に従属しているところが多い。この意味で南北問題は現代帝国主義と新旧植民地主義の間題とかさなります。それだけではなく、第二次大戦後の国際貿易と国際金融はGATTによる貿易の自由化とIMFによる為替の自由化をてことして大きく進展してきました。貿易や為替の自由化は、市場機構を通じて国際分業の発展を図る体制であり、このような世界市場の無差別自由化によっては、アメリカを頂点とするGATT、IMF体制のもとでは経済発展と工業化の署しく達れている開発途上国はどうしても不利を免がれません。そこで既存体制を修正して自己発展に有利な貿易と援助の措置を要求する開発途上国の抵抗が強くなるのは当然でした。それに既存体制に批判的な社会主義諸国の支持が加わったために、現状維持的な北の先進国もしぶしぶ賛成して開かれたのが、1964年の第一国連貿易開発会議でした。この第一回会議では北側の不統一と南側の団結が目立ち、統ぐ第二回会議では南側の不統一が表面化しましたが、いずれにせよ具体的な成果のあがらないままに60年代は幕を閉じました。60年代を通して、一般的に言えば南の諸国は国連開発の十年がかかげた5%の成長目標を達成しました。

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