国際投機筋
通賃不安の元凶は国際投機筋と言われています。その正体ははっきりしませんが、2種類あると考えられています。1つはロンドンチューリッヒを本拠とする国際金融業者でこれが中東の石油王、南米の鉱山王、ギリシャの海運業者、東南アジアの華商、アメリカの富豪などの莫大なお金の連用をまかされ、通常はユーロダラー市場でそれを操作していますが、通過不安の匂いをかぎつけるや集中的に為替市場に攻勢をかけ、為替差益を儲けて引下がります。これはチューリッヒの小鬼と言われるものを含めて伝統的な投機筋にあたります。いま一つは国際石油資本を始めとする多国籍企業で、72年6月のポンド危機当時、大量のポンドを借りて売り浴びせた主役はこれだと見られていました。この伝統的及び新興二大勢力のか、各国の買易業者や発展達上国の中央銀が加わり投機の嵐が起ると見られていました。
イギリスポンドは1971年8月のニクソンショックに際し上限変動相場制に追い込まれた後、71年のスミソニアン会議で1ポンデの対米ダルレートを以前の2.4ドルから2.6ドルヘと8.57%切上げることになり、この平価で固定相場制へ復帰し、さらにイギリスは72年5月から、ECの為替変動幅縮小計画にも参加しました。しがしスミソニアン会議でのポンド平価は必ずしもポンドの実努を反映したものではないみられていましたが、72年に入って貿易収支が赤字に転化し、国際取支の先行き不安が見込まれると、経済の拡大と失業の減少かつインフレ抑制のためポンド切下げもやむなしという意見が国内でも出はじめ、6月に入って内閣の蔵相によるポンド切下げ不可避論をきっかけに欧州市場で国際投機筋による大量のポンド売りが起こり、保守党政府はポンドの変動相場制移行の事実上のポンド切下げに踏み切りました。当時ポンドに並んで弱いイタリアリラの切下げ説、あるいはEC通貨の共同変動制移行説さらには多国間通過再調整説から円再切上げ説まで取りざたされましたが、関係国の協調的対応によってポンド以外への波及は食い止められ、スミソニアン体制の危機は当面回避されました。

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