スミソニアン体制

1971年12月ワシントンでの先進10力国蔵相会議で合意された多国間通貨調整にもとづき発足した新たな国際通貨体制がスミソニアン体制です。会議がワシントンのスミソニアン博物館本部で開かれたために、従来のIMF協定を軸とする国際通賃体制をブレントンウッズ体制と言うのになぞらえて、ブレントンウッズ体制修正版が成立しましたスミソニアン会議以降の国際通貨体制をスミソニアン体制と言います。ブレントンウッズ体制が修正を追られたのは、墓本的にはこの体制の支えである米ドルの国際的信用の低下、直接的には71年8月ニクソン政府の衝撃的なドル防衛政策の実施によって起こった国際通賃の混迷状態を打開するためであり、主要資本主義諸国はその打開策を模索した結果、スミソニアン会議で金に対するドルの切下げやドルに対する円の切上げを含む各国通貨の平価調整、為替変動幅の拡大で合意に達し、かつアメリカは輸入課徴金を撤廃することになりました。ただし、スミソニアン体制では金・ドル交換は停止されたままであり、しかもアメリカの国際収支はその後も改善されず、ドル不残は根強く続き、この体制は一時的過渡的なものとみられでいます。事実、72年6月にはドルにつぐ国際通貨ポンドが危機に陥りスミノニアン体制は大きく揺らぎましたが、このときはポンドの変動相場制移行だけで切抜けることができました。しかし、ドル不安の底流は変わらない一方で、日本の貿場収支の大幅黒字が続いているため円再切上げを求める国際世論が強く、73年2月、日は再度変動相場制に移行しました。

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